夢の住人 101号室


  僕の夢には時折、住人たちが顔を出す。

  

 長期に渡って顔を見せる者もいれば、一度だけしか顔を見せたことがない者もいる。いずれも女性だと認識している。何故か僕の中ではそう認識出来ている。後述する名もそうだ。

  

 彼女たちは僕の夢の中でそれぞれ名を持って現れる。だから、「ネームズ」とただ単純に呼ぶこともある。おそらく彼女たちは僕の意識が夢の中で形を得た存在。意識体とでも呼ぼうか。元を辿れば僕の意識だ。ひとつの意識より生まれた形だ。

  

 夢の住人と呼んだが、最近では現実にも影響を及ぼし始めている。自分の意識が他意識と入れ替わる瞬間を観測出来るようになった。それでも僕なんだ。趣味や嗜好、言動が変わろうとも。だから、解離性同一障害とは全く関係の無いものだと僕は勝手に判断している。


  さて、僕の夢に名を持って現れた最初の住人を紹介しようと思う。彼女は「あの子」。ただの三人称のようではあるが、僕はそれを夢の中で名だと認識した。最近ではアノとも呼んでいる。

 見た目としては右腕が異形化していて双眸を冷たいアスファルトに流れる赤い血の様に美しく輝かせ、全身から血を流した某艦隊ゲームの深海棲艦の正規空母を基調としたような姿をしている。

  

 彼女は僕にとっては死神とも聖母とも呼べる存在である。彼女は夢の中で僕を殺すために動く。それを僕は僕自身の抱える罪への罰。浄化、儀式のようなものだと感じた。ひどく優しい雰囲気で僕に迫ってくるのである。殺されそうになっているのにも関わらず、僕は彼女から温かさを感じた。言葉では表現し難い包み込むような温かさである。これを安心感と呼ぶのだろうか。

  

 僕は一応逃げるという行為をしたが、最後には彼女に殺されることを望んだ。彼女になら殺されてもいいと思った。それを彼女は悟ったらしく、今まで僕が生きて見てきた人の笑顔とは比較にならない程の優しい笑顔を見せた。その笑顔を今でも鮮明に覚えている。そして、そこで僕の夢は途切れた。夢より目覚めたのだ。夢から覚めた僕は普段よりも更に薄く感じた現実で暫くぼーっとしていた。


  彼女は一体僕の何を表しているのだろう。そこに意味があるものなのかどうかも分からないが、僕なりに少し考えてみた。

 彼女は僕にとっての“死”そのものの概念の具現化なのではないか。僕は死を枕元に置いて寝るくらいに死とは切っても切れない深い関係にある。それは生物全体にも言えることだが。

  優しく温かな死とはおそらく安楽死を表しているのだろう。日頃より僕は安楽死を望んでいるからその影響だろう。

  何者かによって殺されることは孤独感からの逃避にあると見る。孤独感から逃れる術を僕はまだ見つけられずにいる。そこからきているのだろう。僕を殺そうとする彼女だが、僕に安心感をくれる相手だ。孤独感など感じまいよ。

  

 僕はどうやら死に対して冷たい印象ではなく、むしろ逆の温かい印象を持っているようだ。あそこまで優しく温かく包まれるように死ねるとは、夢とは言えとても良き体験をした。

  僕は死を解放であると考えている。そういう部分も加味された夢となっているのだろう。望んでいるから夢を見たのだろう。願っているから夢を見たのだろう。

  死とは生を持っていては手に出来ないものである。まさに表裏一体とも言うべきもの。僕は触れてみたい。死に触れてみたい。一体どういうものなのだろう。僕が無意識下で認識していた優しく温かいものなのだろうか。僕は一方的に望んでいる。そういう死を望んでいる。



  彼女は僕にとっての“救済の形”なのかもしれない。